小学生で鉄道に興味を持ったとき、しょっちゅう眺めていた本が2冊ある。
左が小学館コロタン文庫「国鉄駅名全百科」(絶版)
国鉄の主要駅の写真と解説が載っていた。
右は雄鶏社の「終着駅 国鉄全132」(絶版 出版社の雄鶏社は廃業)
当時の国鉄盲腸線(行き止まり線)の終着駅が詳しく載っていた。
小学生に、全国に鉄道を乗りにいけるわけも無く、この2冊を眺めては、大きくなったら、ローカル線をいっぱい乗ろうと夢見ていた。
ところが、自由に鉄道に乗れるようになる大学生になる前に、国鉄赤字ローカル線は軒並み廃止されてしまった
この本の中で、特に印象に残っていたローカル線の終着駅のひとつが万字炭山駅。
北海道や北九州に国鉄炭鉱線は数多くあるも、ストレートな”炭山駅”という駅名。
それでいて、駅舎は、古びた木造駅舎ではなく、近代的な窓が大きな駅舎。そして、駅舎の周りは、なぜかハイキングにむいてそうな山の中にあるような写真。
その後、廃線跡の本やブログを見ると、今も駅舎が、個人所有で残っているらしい。
(2011年の本『北海道の鉄道廃線跡』にも、残った駅舎の写真を見かけた)
しかも、万字線は、5駅中4駅が何らかの形で駅舎が残っていて、駅舎残存率が、廃線の中で高いらしい。
折りたたみ自転車で、その駅舎をたずねてみることにした。
岩見沢駅近くのバスターミナルに朝着く。
午後幌内線の跡もたずねる関係で、時間短縮のため、万字線代替バスの路線バスに自転車を乗せる。
鉄道と違って、路線バスの場合、輪行はできない場合も多いが、万字線を運行する北海道中央バスは輪行出来ると事前にホームページで知った。
車内にも、しっかり告知されている。
初めてのバスの輪行。
なお、万字線代替バスは、昔は万字まで行っていた様だが、今は途中の毛陽交流センター (美流渡駅と万字駅の間にある施設)間でしか行かない。
万字線代替バスの終点の毛陽交流センター。
1日3本は、万字方面へ、ここから岩見沢市の無料バス(マイクロバスクラス?)が接続するらしい。
なお、この交流センターは、万字線廃駅との関連はまったく無い。
ウィキペディアで、万字線の各駅を調べると、駅のあった所在地の経度緯度が正確に乗っている。
それをグーグルマップに位置保存したものが上記。
これをグーグルマップの音声ナビ機能を使って、廃線跡訪問を開始する。
いやー便利な世の中になったものだ。
(ちなみに☆印は、右から万字炭山駅、万字駅、美流渡駅、万字線資料館、朝日駅、上志文駅、赤印が岩見沢駅。上のほうの☆は、午後に行く予定の幌内線関係の位置)
こんな感じに、次の駅跡(経緯緯度)までの道順と距離が出る。
なお、時間は、車での走行時間なので、自転車の場合、参考にはならない。
まずは万字駅到着。
駅舎は万字仲町簡易郵便局になっている。
駅名標を模した案内。
ホームも残っているらしいが、ホームに下りる階段から見ると、ホームは草に覆われて見えない状況。
いよいよ万字炭山駅を目指す。
途中、万字炭山の案内が見える。
ナビが目的地到着を告げるが、
!なにもない。
ほんとにここであっているのか、この先に、あの駅舎が残っているのではないかとナビの示す地点より先にも行ってみるが、何も無い。
埋もれた鉄道施設らしきものがあっただけ。
ということはやはり先ほどの地点が万字炭山駅跡?
確かに、大きさ的にこの土台跡が、写真で見る駅舎ぐらい。
この位置から見ると、まさに本で見た万字炭山駅の風景とよく似ている。
これは『廃線終着駅を訪ねる 国鉄・JR編』という 本で、貴重な終着駅の写真が多数掲載され、廃線跡訪問に非常に便利な本なのだが、その万字炭山駅の写真と比較すると、完全に、ここが跡地だとわかる。
あーあ。駅舎は撤去されてしまったのか
あと、2年早く、たずねていたらなあ。
(2011年には駅舎があったという本を見かけたので、撤去はここ1~2年の間と思われる)
気を取り直して、美流渡駅跡に向かう。
万字炭山駅前の坂道を上がる。
坂道の途中から、万字炭山駅構内跡を見下ろす。
坂の上には、炭鉱住宅らしき建物も。
途中、万字交通センターという施設がある。
ここに踏切や万字線の案内があり、ここを万字炭山駅跡と誤解しそう。
ここは万字炭山駅とは位置的に関係ない。
万字炭山駅跡が私有地になったため、関係ない公共施設(バスターミナル)に案内や踏切をたてたようだ。
今回は、スマホのグーグルマップを使っての廃線跡訪問。
しかし、GPSを使うと、バッテリーの減り方もすごいので、充電バッテリーも装着しながらの訪問になった。
美流渡駅跡の手前で、万字線沿線中、唯一見かけたコンビニ。
食料調達と水分調達を行う。
美流渡駅は、駅跡に交通センターが建ち、駅舎は残っていない。
この2Fに当時の栗沢町がつくった万字線資料館があるらしいが、日曜はお休み。
交通センター裏手には、案内と踏切が。
ここから1キロのところに「万字線鉄道資料館」が、もうひとつある。
こちらも、日曜休みとのことで、前まで行っただけ。
こちらは、当時の岩見沢市が作った万字線資料館。
自治体が違ったため、至近距離に2つの万字線資料館が並立することになったと推察される。
まさに「お役所仕事」。
一緒にすればいいのに。
ちなみに、栗沢町は岩見沢市と合併したので、今はどちらも岩見沢市にあることになる。
どちらも入れなかったため未確認だが、もしかしたら資料は、どちらかに統合されているかも。
旧朝日駅は鉄道公園として保存されているので、グーグルマップにも表示される。
朝日駅跡に到着。ここは鉄道公園として、一番残っている。
駅舎もばっちり。
満足して、最後の上志文駅を目指す。
なお、駅跡はよく残っている万字線跡だが、線路跡など駅跡以外はわかりづらい。
唯一見かけたこの橋脚跡ぐらいで、他はいまいちわからなかった。
上志文駅跡は、個人の物置として使われていると聞いたが、しっかりグーグルマップでも表示される。
農耕機具が見受けられ、たしかに倉庫代わりだなあ。
反対側(ホーム側)から。
だだっぴろい敷地が残る。
ここまでで、万字線廃線跡の旅終了。
7:25岩見沢駅発のバスで開始し、10:40に終了。
これから幌内線廃線跡の旅に向かいます。
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